膝物語〜そうだ、手術、受けよう。
ブログの方はお久しぶりです。しゃるどねです。
膝の手術、受けます。
撃てるようになったら嬉しいけど、義足にはならないです
このブログでは手術は様子見と書きましたが、ついに手術を決心する出来事が積み重なりました。
経緯を書く前に、以下前回までのあらすじです。
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私は膝のお皿が繰り返し脱臼します。
15年半前、13歳で階段から落ちて初回の膝蓋骨脱臼と、剥離骨折。当時整形外科に行かせてもらえず、処置は固定なしのテーピングのみ。
3年が経過。その間半年〜1年に1回ペースで脱臼。すぐ整復されるので当時はそれを脱臼とも思わなかったものの、腫れ方が酷いのでついに大学病院を受診。反復性膝蓋骨亜脱臼だと診断される。
とりあえず受診当時16歳とまだ若かったので、サポーター(ニーブレース)をぶん投げられて保存療法。リハビリ?体育?スポーツ?何それ美味しいの?
その後約10年が経ち、2018年から始めた筋トレで膝の不安定感を克服...したと思っていた時期が私にもありました。
昨年の年末に脱臼からの骨挫傷。骨挫傷っていうか軟骨ゴリゴリに削れてね?って痛み・・・
怪我で動けない間に爆増した脂肪を減らしたり筋トレをしたり色々頑張ったのだが・・・
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はい。脂肪はかなりの量減らしました。筋肉も結構ガチガチにつけました。つけたんですが。
・階段がスムーズに降りられない
・エアロバイクだろうが運動後に右膝を庇っている左脛が痛くなる
・生身で走れる兆候が全くない
・バイクの取り回しが怖い、痛みが出る
などの症状があり、近くの整形外科に相談に行きまして。
ワイ「かくかくしかじかで、筋トレやリハビリでどうにかなりませんか?運動処方なd 先生「あーあーこの膝じゃダメだよ〜wwww手術勧められなかった?勧められたの?仕事が忙しくて受けられなかった?ふーん。事務職で?病院にかかれない仕事なんかやめちまえwwww」(マジでこんな感じで言われた)
ということで、決心しました。
そうだ、手術、受けよう。
これが、7月か8月の話です。
そして、初診料を取られないギリギリのタイミングで大きな病院に再度かかりました。
相変わらず疲れた感じの主治医先生、やる気を起こしていただきたいのでやるお先生とでも呼びましょうか。やるお先生曰く、手術日は年末、クリスマスイブ前日が最短だそうで。
めっちゃ待たされるやん。みんなもっと膝大事にして?
どうせ仕事も年末に向けて大きくは動かないし寒くてバイクにも乗らないタイミングなので、即頭を縦に振りました。
そして、先週の金曜に入院前の採血やら心電図やら手術の説明やらを受けてまいりました。
これはその際に撮ったCTです。
左右反転してます。
普通に仰向けで、少し内腿に力を入れた姿勢をとっただけで亜脱臼してます。
おまけに、大腿骨も膝蓋骨もガタガタに削れてますね。
こんなにボロボロの膝で運動して通勤してたかと思うと、ゾワゾワしますね。ヤバいですね☆
ということで、私の今年のクリスマスは、病棟のメリークルシミマスです。俺、この手術終わったらケーキとシャンパンキメるんだ。
そう、クルシミマスなんです。手術が成功したからといって、すぐにスタスタ歩けるようになるわけではないのです。
なぜかというと、骨に穴をぶち開けるので膝がめちゃくちゃ腫れるんです。そして痛い。
以下は私の受けるMPFL再建術の手順です。
膝のお皿を内側方向に固定している靭帯がびろびろに伸びたり断裂してたりするので、人工的に作り直すのです。
全身麻酔をしたうえで、関節鏡を使います。傷は最小限。膝くぱぁにならないのは、ありがたいところです。
まずハムストリングの一部(裏腿外側の筋肉)を採取して、膝のお皿を内側から留めている靭帯の代わりのバンドを作ります。これを移殖腱と言います。
次に、大腿骨に細い孔を空けます。ここに先程の後付け靭帯を通します。移植腱がすっぽ抜けないように、大腿骨の外側にボタンをつけます。
最後に、移殖腱をの端っこを膝のお皿に縫い付けて出来上がり☆
ね、簡単でしょう?(簡単ではない)
この腫れが引くまで右脚が使えなくなります。移殖腱が定着して手術のダメージから回復したら次はリハビリです。
移殖腱が落ち着かないうちに頑張りすぎると再手術、やらなさすぎると筋力がつかない。難しいバランスですね。
とりあえず再手術だけは避けたいところです。
これで長年不安定だった右膝が丈夫になると思うと、なんだかすごく楽しみですね。
そして夏にはバイクに乗れるようになりたいです。
理学療法士さんの言うことをよく聞いて頑張ろうと思います٩( 'ω' )و